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中里諏訪神社|我孫子市中里の神社

中里諏訪神社の概要

中里諏訪神社は、我孫子市中里にある神社です。中里諏訪神社は天正4年(1576)に創建、中里村の鎮守だったといいます。明治41年には、熊野神社(北島原旧在)、外川神社(南原旧在)、水神社(六番作旧在)、稲荷神社(南島原旧在)、山王神社(北島原旧在)、弁天神社(弁天作旧在)を合祀したといいます。

中里諏訪神社
中里諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 武御名方尊
相殿 -
境内社 -
住所 千葉県我孫子市中里667
祭日 -
備考 -



中里諏訪神社の由緒

中里諏訪神社は天正4年(1576)に創建、中里村の鎮守だったといいます。明治41年には、熊野神社(北島原旧在)、外川神社(南原旧在)、水神社(六番作旧在)、稲荷神社(南島原旧在)、山王神社(北島原旧在)、弁天神社(弁天作旧在)を合祀したといいます。

「我孫子市史」による中里諏訪神社の由緒

諏訪神社(中里六六七)
天正四年(一五七六)三月の創建で、以来旧中里村の産土として奉祀されてきた。
明治の、「神社明細帳」には「社殿間数 間口三間 奥行四間」、「境内社八幡大神(誉田別命)、建物 間口三尺五寸 奥行五尺」と記されている。明治四十一年には、熊野神社(天正五年一月創建、北島原旧在)、外川神社(天保二年三月創建、南原旧在)、水神社(六番作旧在)、稲荷神社(南島原旧在)、山王神社(北島原旧在)、弁天神社(弁天作旧在)の諸社が当社に合祀された。
鳥居は明治三十五年造立の石造神明鳥居である。
社殿は、大正十五年に拝殿の修繕と本殿の改築が行われ、昭和三十年にも修理されて今に至っている。拝殿と本殿を相の間でつなぐ形式で、拝殿は切妻造、鉄板葺、向拝付、本殿は切妻造、鉄板葺である。(「我孫子市史」より)

境内掲示による中里諏訪神社の由緒

当諏訪神社の創建は古く、戦国の世が漸く終わろうとする、天正四(1576)年三月のこととされる。祭神は「武御名方尊」である。武御名方尊は、祖父を須佐之男命、父を大国主命とし、本社諏訪大社のある信濃国(長野県)の開発に尽力した神として知られる。創建から江戸時代までの詳細は、当神社に関する古文書や記録の類が全くなく、残念ながら不明とせざるを得ない。しかし当神社が村民の寄合や諸祈願・祭礼の場、すなわち中里村の鎮守社(土地を守る神)として、村民の信仰を集めていたことは間違いない。
「湖北村誌」によれば、当神社の規模は、大正九(1920)年の時点で境内坪数が五百三十五坪、氏子戸数五十戸、采田(神田)が六畝四歩とのことである。また、明治四十一年十二月二十六日には、北島原にあった熊野神社(天正五年一月創建)・外川神社(天保二年三月創建)・山王神社、六番作の水神社、南原の稲荷神社、弁天作の弁天人じゃが当諏訪神社に合祀されている。
現在の社殿は、大正十五年建立の社殿老朽化に伴い、氏子総代・中里区民その他有志の協力により、平成十六年十二月に再建されている。社殿は本殿(二・五坪)、祝詞殿(三坪)、拝殿(八・七五坪)からなり、いずれも銅板葺きで本殿屋根上に千木一対、鰹木六本を備えた堂々たるものである。また鳥居(明神鳥居)には「明治三十五年六月」の年紀が刻まれている。
当神社に関わる伝統行事には、元旦の元朝詣り、正月七日の御備射、二月の初午(稲荷祭)、十月の例大祭、十一月の七五三などがある。とくに例大祭には子供神輿が中里区内を練り歩き境内では厳粛なる神事のほか素人演芸会が催されるなど、中里区民のみならず湖北地区住民交流の場として、毎年盛大に挙行されている。また元朝詣りでは、初詣客に甘酒が振る舞われ、その行列は境内からあふれるほどの賑わいをみせている。(境内掲示より)


中里諏訪神社の周辺図

参考資料
  • 我孫子市史