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緑香取神社|我孫子市緑の神社

緑香取神社の概要

緑香取神社は、我孫子市緑にある神社です。緑香取神社の創建年代は不詳ながら、享保年間(1716-1735)頃の創建だといい、我孫子宿の鎮守社だったといいます。明治維新後村社に列格、明治40年天子社、三宝荒神、稲荷神社、天神社、第六天社、北星社、同陸神、神明社、鷲神社、住吉社、厳島神社、白山神社の12社を合祀したといいます。

緑香取神社
緑香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 -
住所 千葉県我孫子市緑1-6-8
祭日 -
備考 -



緑香取神社の由緒

緑香取神社の創建年代は不詳ながら、享保年間(1716-1735)頃の創建だといい、我孫子宿の鎮守社だったといいます。明治維新後村社に列格、明治40年天子社、三宝荒神、稲荷神社、天神社、第六天社、北星社、同陸神、神明社、鷲神社、住吉社、厳島神社、白山神社の12社を合祀したといいます。

「我孫子市史」による緑香取神社の由緒

ここに香取神社を奉斎したのは将軍吉宗の頃という。享保年代(一七一六~)のことであろうが、当時の状況は不詳である。天明八年(一七八八)の「我孫子村村差出明細帳」及び文化六年(一八〇九)の同村「村方明細書上帳」には、当村の「鎮守七ヶ所」とあって、当社はその中の一社であったと考えられる。それが天保九年(一八三八)の「村差出書上帳」には「当村鎮守、香取大明神壱ヶ所」と記されていて、従来の各所鎮守七カ所のうちで、当社が全村の鎮守となったことが分る。
旧社殿は、文政十年(一八二七)の我孫子宿の大火で類焼、天保年代に復興した。このとき、天子山旧在の天子社他四社を合祀、氏子の組織も拡大強化されるに至ったと考えられる。
明治の「神社明細帳」には「我孫子宿字宮脇、村社香取神社」と記され、「社殿間口壱間 奥行壱間三尺 拝殿間口四間三尺 奥行四間」とあるが、ここに「社殿」とあるのは天保年代に復興した一間社流造の本殿のことで、いまは神社殿の内部に旧来の姿のまま納められている。
ところで、明治三十六年七月二十一日の夜のこと、当社で火災があり、拝殿が焼失した。そこで拝殿の再建が企てられたが、ときあたかも明治三十八年の合祀令があったので、明治四十年に三宝荒神以下十三社を当社に合併することとなり、四十一年に「拝殿間口参間壱尺 奥行弐間半」が再建され、その後方に旧来の流造本殿を拝するという社殿構成となったのである。そして、このとき、天保年代造立の石造明神鳥居の柱に「明治四拾年五月拾八日合併、天子社、三宝荒神、稲荷神社、天神社、第六天社、北星社、同陸神、神明社、鷲神社、住吉社、厳島神社、白山神社」と合祀した十二社の名が追刻された。
境内の同陸神の社殿は、この合祀にあたって旧在地から移されてきたもので、寛政七年(一七九五)の石祠が納められている。社殿は明治十八年に造立された木造の流造社殿で、石の基壇に「女人講中」「増尾村大工、山ノ辺熊造」「布佐駅、石工繁吉」とある。
現社殿は、権現造、銅板葺、鉄筋コンクリートの新建築で、昭和五十六年に造営費七、五七五万円をもって新築された。拝殿は、切妻造、向拝付で、正面幅五四〇cm、側面四五〇cm、渡殿は拝殿より一段高くなり、本殿部分は、流造で棟に千木と勝男木を置く。その部分は、天保年代に再建された旧来の本殿をそのまま納めるように、棟の高い建物に造られている。
境内地は、もと手賀沼に臨む台地の端で、今も鳥居の前の道は窪地に下る急坂となっている。境内のケヤキの大木は、大正十二年に苗木を五十本植栽したのが成育したものである。(「我孫子市史」より)


緑香取神社の周辺図

参考資料
  • 我孫子市史