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高野山香取神社|我孫子市高野山の神社

高野山香取神社の概要

高野山香取神社は、我孫子市高野山にある神社です。高野山香取神社の創建年代は不詳ながら、平将門の乱が平定された天慶3年(940)の創立とも伝えられます。貞享元年(1694)の棟札が残されることからこの年に社が祀られ、享保15年(1730)には本殿が造立されたのではないかといいいます。

高野山香取神社
高野山香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主命
相殿 -
境内社 -
住所 千葉県我孫子市高野山432
祭日 -
備考 -



高野山香取神社の由緒

高野山香取神社の創建年代は不詳ながら、平将門の乱が平定された天慶3年(940)の創立とも伝えられます。貞享元年(1694)の棟札が残されることからこの年に社が祀られ、享保15年(1730)には本殿が造立されたのではないかといいいます。

「我孫子市史」による高野山香取神社の由緒

古老伝に天慶三年創立というが、これは平将門の乱が平定した年に仮託したものであろう。境域は古墳のある故地であるが、中世以前のことは不明で、ようやく貞享元年(一六八四)の棟札に「奉新建立香取大明神御宮」とみえる。
香取の神をこのとき勧請して香取神社と称するようになったのではあるまいか。
当社の本殿に板製の柄鏡型のものが納められている。それは御宮を新しく建立したときに御霊代として調進したものであろう。表に「キヤ香取大明神」とあるのは、神仏混清の信仰によるもので、キヤは十一面観音をあらわす梵字である。十一面観音は香取神社の旧別当寺である香取山金剛宝寺の本尊で、香取の神の本地仏に相当する。そこで、香取の神を勧請するに当って、本地仏もあわせて御霊代の鏡に記したのであった。また、この柄儀の背面には、さまざまな梵字を配置して曼荼羅を形づくっているが、それらの諸仏も香取神宮の摂社や末社の神々の本地仏を示したものであろう。このような神仏習合の信仰は古代以来行われてきたのであって、中世の遺品である中峠八幡神社の御正体とともに、高野山香取神社の御霊代は近世の遺例として注目すべきものである。
当社には社殿等を修築したときに納めた棟札が六枚保存されている。それらの記録の要点は次の通りである。
(中略)
以上を通観すると、貞享元年(一六八四)に御宮を新たに建立し、享保十五年(一七三○)には宝宮を造立した。この宝宮というのは、いまの本殿の中に納められている流造板葺の社殿ではたかろうか。
ついで翌年には御宝前を修造し、元文三年(一七三八)に鳥居が建てられ、ついで明和六年(一七六九)にも鳥居が造立された。
同年の鳥居造立の棟札がもう一枚あるが、これは一の鳥居と二の鳥居か、あるいは重複かもしれない。
なお、現在の石造鳥居は安政三年(一八五六)の造立であるから、棟札記載の鳥居は石造でなく木造であったと考えられる。
現社殿は、昭和五十三年改築のコソクリート建築で、向拝付の拝殿、相の間、本殿からなる権現造形式である。そして、奥の本殿内部に流造板葺の社殿を納めているのである。
なお、現社殿に改築する以前の社殿については、明治四十一年の「神社合併記念碑」に「拝殿瓦葺及ビ渡殿新築成ル」とあり、さらにさかのぼってみると、明治の「神社明細帳」には、「社殿間数間口弐間奥行弐間境内香取神社遥拝所建物間口三間半奥行弐間」とある。この遥拝所は拝殿に相当し、茅葺であったのを瓦に葺き替え、おそらく覆屋のあった本殿との間に相の蘭(渡殿)を附設したのが明治四十一年のこととなる。(「我孫子市史」より)


高野山香取神社の周辺図


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参考資料
  • 我孫子市史