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北星神社|我孫子市台田の神社

北星神社の概要

北星神社は、我孫子市台田にある神社です。北星神社は、相馬根戸城主が中世に妙見菩薩を勧請して創建、江戸時代には妙見社と称していたといいます。明治維新後の廃仏毀釈に伴い明治9年北星神社と改称、明治41年には、村内の吾妻大名神(池尻旧在)、香取社(上屋敷旧在)、天神社(上屋敷旧在)、第陸天社(荒迫旧在)、稲荷社(花輪旧在)、白山社(中馬場旧在)の七社を合祀、その後八坂社(台田)も合祀したといいます。

北星神社
北星神社の概要
社号 北星神社
祭神 天御中主命
相殿 -
境内社 三峰社
住所 千葉県我孫子市台田4-11-27
祭日 -
備考 -



北星神社の由緒

北星神社は、相馬根戸城主が中世に妙見菩薩を勧請して創建、江戸時代には妙見社と称していたといいます。明治維新後の廃仏毀釈に伴い明治9年北星神社と改称、明治41年には、村内の吾妻大名神(池尻旧在)、香取社(上屋敷旧在)、天神社(上屋敷旧在)、第陸天社(荒迫旧在)、稲荷社(花輪旧在)、白山社(中馬場旧在)の七社を合祀、その後八坂社(台田)も合祀したといいます。

「我孫子市史」による北星神社の由緒

当社は相馬根戸城主が妙見菩薩を勧請奉祀したのにはじまる。中世以前の状況は不詳であるが、城主を失ってのち、地元住民がそれを引きつぎ、尊崇護持してきたということであろう。妙見菩薩の尊体について、当社の北西に当たる根切の田から出土した像が、花戸原(俗にかなづっぱらという)妙見塚をへて現在地に奉祀されたとの伝承があるが、これは中世以来の荒廃から集落の鎮守として再生するに至った経緯を物語るものであろう。
文政七年(1824)の「根戸村明細帳」には「妙見大菩薩、別当東陽寺、但、一村鎮守、祭礼九月廿二日、先例正月廿二日奉謝」とあり、氏子による祭礼や奉謝も(奉射あるいは歩射)も執行されていたことが知られる。また、天保四年(1833)には社殿の造営があり、当時以前に氏子の組織は確立していたと考えられる。
明治維新の神仏分離にともない、妙見菩薩は棄釈され、代わって天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祭神とし、明治九年に妙見社を北星社と改称した。明治の「神社明細帳」には「根戸村字北ノ内、村社、北星社」とあり、「社殿間数 間口四間、奥行五間」となっている。この社殿の規模は、現在の社殿に改築される以前にみられた本殿の覆屋の規模を記したものかと思われる。
明治41年には、村内の吾妻大名神(池尻旧在)、香取社(上屋敷旧在)、天神社(上屋敷旧在)、第陸天社(荒迫旧在)、稲荷社(花輪旧在)、白山社(中馬場旧在)の七社を合祀し、のち八坂社(台田)も合祀した。なお境内末社に三峰社がある。
もと、当社は本殿覆屋の前に拝殿及び相の間があり、参道には木造の両部鳥居が建っていた。その鳥居をかすめるように国道六号線が開通し、境内周辺の宅地開発も進んで環境は一変した。そうした状況の中で、昭和58年に社殿の改築が行われて今日に至っている。
鳥居はもとの木造両部鳥居を廃して、神明鳥居形式の石造に変えた。
社殿は鉄筋コンクリート造りとし、拝殿、幣殿、本殿が連続しているが、本殿は神明造の形式で、その内部に旧来の木造本殿が納めてある。
旧来の本殿というのは、天保四年(1833)の刻銘がある石積基壇上に建つ一間社流造、板葺の社殿で、浜床から高欄付きの木階を登り、身舎に縁をめぐらす。向拝の各部をはじめとして、身舎の壁面や縁下周辺に吉祥の説話に因む人物物語図、花鳥及び波濤等の彫刻装飾を施した豪華な建築である。それが、もと覆屋で保護されていたのであるが、このたびの改築によって、新社殿の本殿部分の中に納められたわけである。
改築工事の記録によれば、境内敷地は1,978.44㎡、 建物規模は地上一階で最高部の高さは12.21M、建築面積は430.469㎡で、六間一棟、切妻造長屋形の合祀社社殿、社務所及び客殿もあわせて新築された。なお什物類には、天保八年(1837)銘の鰐口があり、もと根戸村で行われていた大杉祭礼の船神輿が保管されている。
当社に合祀した八坂社(牛頭天王)については、明治の「神社明細帳」に「根戸村字台田、無格社、八坂神社」として「祭神、須佐ノ男命、社殿間数、間口弐間三尺、奥行弐間、境内坪数、九拾弐坪、信徒人員、五百八拾五人」とあり、根戸の一部地域の鎮守として奉祀されてきた社である。(「我孫子市史」より)

境内掲示による北星神社の由緒

北星神社は明治九年に改称されるまでは「妙見宮」と呼ばれ親しまれてきた。
中世に相馬氏が所領していた時代の創建で、祭神に天御中主命を奉祀、本尊妙見菩薩。相馬・千葉氏に関わる城館には必ず妙見菩薩を祀る宮があったとされている。
しかし、伝承では、ここから北西に根切の田があり、そこから出土した妙見様が花戸原の妙見塚を経て現在地に祀られたという。
社殿がつくり替られたが、旧社殿の造営は棟札に社殿基壇部に、天保四年(一八三三)と記され、棟札には再建とあるので、それ以前から宮があったのは確かである。
明治四十一年に本県知事の許可を経て無格社六社を合祀しています。(境内掲示より)


北星神社の周辺図


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参考資料
  • 我孫子市史