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高源院|文京区大塚にある曹洞宗寺院

高源院の概要

曹洞宗寺院の高源院は、龍寶山と号します。高源院は、榊原七郎右衛門清治(高源院殿實芳凉参大居士、慶安5年1652年没)が開基、門解蘆關大和尚(承応3年1654年寂)が開山となり、元和年間(1615-1624)に創建したといいます。

高源院
高源院の概要
山号 龍寶山
院号 高源院
寺号 -
住所 文京区大塚3-8-4
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



高源院の縁起

高源院は、榊原七郎右衛門清治(高源院殿實芳凉参大居士、慶安5年1652年没)が開基、門解蘆關大和尚(承応3年1654年寂)が開山となり、元和年間(1615-1624)に創建したといいます。

「小石川區史」による高源院の縁起

高源院
龍寶山高源院。総党首栃木縣大中寺末。本尊釋迦牟尼佛。當寺の開創は元和年中で、開山は門解蘆關和尚(承應三年二月十三日寂)、開基は榊原七郎右衛門清治(高源院殿實芳凉参大居士、慶安五年八月十日卒)である。文政頃には境内古蹟地千百五十五坪、内門前町屋があつた。現本堂は嘉永年中の再建で、寺内には江戸の儒者松宮観山の墓がある。(「小石川區史」より)

東京名所図会による高源院の縁起

高源院
高源院は小石川大塚仲町五番地に在り。龍寶山と號す。曹洞宗にて下野國山田村大中寺の末なり。本堂七間に五間。本尊聖観音を安置す。開山は門解蘆關大和尚。(承応三年二月十二日寂)開基は三橋但馬守なり。
小石川志料に云。住僧の話に年暦は知らず。御入國以前三橋但馬守といへる人。この地を寄附せり。(今門前の名主中島冶左衛門は三橋氏開基の頃より名主なるよし)元和九年由来御尋の節。三橋氏子孫三橋彦太夫よりも開基の始末公へ申上しかは。御改の上舊跡地に被仰付。以前は町奉行支配なりしが。大岡越前守の時寺社奉行支配となりしよし。中興開基は當時浄瑠璃坂居住榊原七郎右衛門なり。境内に墓あり。左に記す。
慶安五壬辰暦
高源院殿實芳涼参大居士
八月十日 榊原七郎右衛門尉源清次純庸按。當院號は中興開基の諡號也。されば此以前は別院號の唱へありて。中興の時より今の名に改めしや。もしくは中興開基なれば。當院號を以て諡號となせしや定かならず。
且蘆關和尚三橋氏の二人をもて開山開基と。住僧のいへるも疑ふべし。蘆關和尚の寂は承応年中。榊原氏の卒慶安なれば。蘆關和尚も榊原氏同時の中興なるが。御入國依然開基は三橋氏にて。開山の名を失ひたるにや。後に記せる寛文十年の記をもて考れば。三橋氏の開基せるも格別舊きことにはあらざるべし。猶ほ考ふべし。
寛文十年記某所蔵
一二十年 高源院
表三十五間裏三十二間
右是は御鷹師衆三橋但馬方より永代寄附のよし。(東京名所図会より)


高源院の周辺図



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