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高林寺|文京区向丘にある曹洞宗系単立寺院

高林寺の概要

曹洞宗系単立寺院の高林寺は、金峰山と号します。高高林寺は、慶長元年(1596年)に幡羅郡下奈良寺集福寺十一世桂岩和尚(慶長3年1598年寂)が、神田山北側の金峰山神杜跡地(現お茶の水坂に面した元町公園辺り)に寺地を拝領して創建、明暦2年(1657)の大火の後、当地へ移転したといいます。神田山に在った時には、徳川家光が立ち寄り、飲したお茶から、「お茶の水」という地名が付いたといいます。境内墓域には、大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉などが学んだ適塾の主催者緒方洪庵や、アララギの歌人岡麓などの墓があります。

高林寺
高林寺の概要
山号 金峰山
院号 -
寺号 高林寺
住所 文京区向丘2-37-5
宗派 曹洞宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



高林寺の縁起

高林寺は、慶長元年(1596年)に幡羅郡下奈良寺集福寺十一世桂岩和尚(慶長3年1598年寂)が、神田山北側の金峰山神杜跡地(現お茶の水坂に面した元町公園辺り)に寺地を拝領して創建、明暦2年(1657)の大火の後、当地へ移転したといいます。神田山に在った時には、徳川家光が立ち寄り、飲したお茶から、「お茶の水」という地名が付いたといいます。

本郷區史による高林寺の縁起

駒込蓬莱町に在り、武州幡羅郡下奈良村寺集福寺末、金峰山と號す、家康放鷹を試みて忍城より集福寺に入り同寺六世桂山に見え後之に寺地を神田に賜ふ、其地金峰山蔵王権現の舊地なりければ金峰山と號した。慶長九年御茶の水に移轉爾来寺中湧出の清水をお茶の水に献じ、お茶の水の高林寺と呼ばれたが、明暦大火後現地に移つた。寺寶に家光の和歌七葉を蔵する。緒方洪庵(第七編参照)畫僧風外(正徳二年歿)黒澤雉岡(通史家重家治時代参照)同雪堂(同上)岡節斎(家斉時代参照)同勁斎(節斎義子名は茲字は子明、法眼文政十三年歿四十)同桐蔭(勁斎嗣子名は風檪仙院と號す幕府の醫官明治二十六年歿七十九)同殻庵(桐蔭嗣子名は明、良節と稱し全天居士と號す幕府醫官明治十八年歿五十五)川島蓮阿(國學者、天保六年歿)松田亀玉(畫師名は英清風館と號す文化十一年歿六十一)の墓がある。(本郷區史より)

東京名所図会による高林寺の縁起

同(駒込蓬莱町)六十八番地にあり、金峰山と號す、曹洞宗武蔵國幡羅郡下奈良寺集福寺末にして、慶長三年十月起立、初め元神田に和州金峰山蔵王権現舊跡地あり、開山桂巌宗嫩大和尚社畔に庵を結ぶ、是れ實に本寺の基礎たり、将軍秀忠鷹野の途上召見て地を賜ひ寺を建てしむ、後境内の清泉を御茶の水として献上す、是より俗に御茶の水高林寺と呼ぶ由、明暦災後此の地に移る将軍家光嘗て和歌七葉を賜ひたることあり、今猶寺に蔵すといふ。(東京名所図会より)


高林寺所蔵の文化財

  • 緒方洪庵墓(文京区指定史跡)
  • 岡麓墓

緒方洪庵墓

洪庵は、江戸時代末期の蘭学者、医学者、教育者。文化7年-文久3年(1810-63)現在の岡山県に生まれ、名は章、後に洪庵と改めた。
大坂、江戸、長崎で蘭学、医学を学び、天保9年(1838)、大坂に、”適々斎塾”(適塾)を開き、診療と研究のかたわら、三千人におよぶ門弟の教育に当った。この塾から大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉などが輩出した。
洪庵は、幕府の奥医師として江戸に招かれ、翌年、文久3年(1863)に病没した。(文京区教育委員会掲示より)

岡麓墓

麓は、明治から昭和にかけて活躍した歌人。明治10年-昭和26年(1877-1951)。区内の本郷(旧金助町)に生まれ、名は三郎、号は麓。
明治32年(1899)正岡子規に師事し、子規庵歌会(根岸短歌会)に参加した。その後”アララギ”の歌人として、数々のすぐれた作品を残し、芸術院会員となり、長野県の疎開先で没した。
”雪の日に 幼き孫が持ち出せば 涙ぐましき江戸名所図会”(文京区教育委員会掲示より)

高林寺の周辺図



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