浄心寺|文京区向丘にある浄土宗寺院

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湯嶋山浄心寺|江戸三十三観音霊場

浄心寺の概要

浄土宗寺院の浄心寺は、湯嶋山常光院と号します。浄心寺は、還蓮社到誉文喬和尚(元和7年1617年寂)が駿河に創建、徳川家康の死後、家康の中間頭だった畔柳助九郎武重が江戸に戻る際、畔柳と共に江戸へ入り元和2年(1612)湯島妻恋坂付近に創建、振袖火事により当地へ移転したといいます。江戸三十三観音霊場10番、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場17番です。

浄心寺
浄心寺の概要
山号 湯嶋山
院号 常光院
寺号 浄心寺
住所 文京区向丘2-17-3
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 浄心寺さくらホール
備考 江戸三十三観音霊場10番



浄心寺の縁起

浄心寺は、還蓮社到誉文喬和尚(元和7年1617年寂)が駿河に創建、徳川家康の死後、家康の中間頭だった畔柳助九郎武重が江戸に戻る際、畔柳と共に江戸へ入り元和2年(1612)湯島妻恋坂付近に創建、振袖火事により当地へ移転したといいます。

「本郷區史」による浄心寺の縁起

駒込蓬莱町に在り、芝増上寺末、湯島山常光院と稱す、初め駿州赤坂に在り、元和二年家康歿後、駿府詰の士畔柳助九郎等東歸して邸地を湯島天神前に得るや、當寺も之に移轉し来り、天和大火後現地に移つた。開基畔柳助九郎武重(家康に從ひ三方ヶ原の役に功あり後中間頭を勤む)益田勤斎(篆刻家、名は濤、字は万頃通稱重蔵天保三年歿七十)益田遇所(篆刻家、勤斎の男、名は蕭、字は子敬、萬延元年歿、六十四)の墓がある。(「本郷區史」より)

東京名所図会による浄心寺の縁起

浄心寺
同(駒込蓬莱町)八番地にあり、湯島山常光院と號す、浄土宗芝増上寺末なり、元和七年創立、開基は畔柳助九郎、開山は僧到譽(元和七年寂)とす。本尊阿弥陀如来は恵心僧都の作と稱す、又運慶作といへる地蔵尊安置しあり。(東京名所図会より)


浄心寺の周辺図


参考資料

  • 「本郷區史」
  • 東京名所図会