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栄松院|文京区向丘にある浄土宗寺院

栄松院の概要

浄土宗寺院の栄松院は、千年山清安寺と号します。栄松院は、教蓮社順誉上人が開山となり、天正17年(1589年)神田に創建、慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。境内には薩摩浄雲墓、初代松本幸四郎墓があるといいます。

栄松院
栄松院の概要
山号 千年山
院号 栄松院
寺号 清安寺
住所 文京区向丘2-35-7
本尊 -
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



栄松院の縁起

栄松院は、中村式部少輔室榮松院殿心譽清安禅尼が開基、教蓮社順誉上人が開山となり、天正17年(1589年)神田に創建、慶安元年(1648)当地へ移転したといいます。

御府内寺社備考による栄松院の縁起

京都知恩院末、駒込四軒寺町
千年山清安寺栄松院、境内拝領地1080持添年貢地139坪余
当寺起立ハ天正17巳年神田ニ在之候処御用地ニ付召上、慶安元子年為代地当地面拝領仕、仰付候。
開山教蓮社順誉上人聡會大和尚元和5乙未年3月15日卒。
中興開基法名栄松院殿心誉清安大禅定尼寛永11甲戌9月11日逝去但松平伯耆守実母中村式部少輔奥方御子息為菩提神田明神下ニ一宇建立□□□由ニ仰付候、尚法号不相分不申候。
佛殿3間四方。下陣間口6間奥行3間半。向拝2間四方。
本尊阿弥陀如来、立像丈3尺2寸運慶作。
観音勢至二菩薩、丈各1尺5寸。
楼鐘(中略)。
弁天堂、土蔵造2間5尺横2間4尺。弁財天、丈3寸2分弘法大師作。十五童子作不知。
鎮守稲荷社。
本堂扁額、宗須筆。
椎木、一樹。境内北之方庭中ニ在り、根本ニテ経9尺余高3丈計。(御府内寺社備考より)

「本郷區史」による栄松院の縁起

榮松院
駒込蓬莱町に在り、千年山清安寺と號す、天正十七年神田明神下に起立、慶安元年此地に移つた。開山は順譽聴含(元和五年寂)中興開基は中村式部少輔室榮松院尼(寛永十一年卒)で子息菩提の爲めに本寺を立つといふ。初代松本幸四郎(俳優享保十五年歿五十七)向山黄村(通稱英五郎幕末若年寄として佛國に使し、歸朝後詩を以て鳴つた。明治三十年歿七十二)兒山紀成(桂門の歌人なり、通稱は勇、後勝之進と改む、天保十一年歿、淺草新寺町妙福寺の葬り後當寺に改葬す)初代薩摩浄雲(浄瑠璃の祖寛文十二年歿七十八)二代薩摩浄雲(元禄三年歿)薩摩外記(正徳六年歿)の墓がある。(「本郷區史」より)

東京名所図会による栄松院の縁起

同(駒込蓬莱町)五十四番地にあり、千年山清安寺と號す、浄土宗京都智恩院末なり、中村式部少輔室榮松院殿心譽清安禅尼(寛永十一年歿)を開基とし、僧順譽(元和五年寂)を開山とす、天正十七年神田に創建し、慶安中此地に移る。(東京名所図会より)


栄松院所蔵の文化財

  • 薩摩浄雲の墓
  • 初代松本幸四郎の墓

薩摩浄雲の墓

文禄4年(1595)-寛文12年(1672)。江戸初期の浄瑠璃太夫。上方の出身。通称虎屋次郎右衛門。別に江戸次郎右衛門、薩摩太夫といった。晩年に剃髪して浄雲と号した。
浄瑠璃を修め、寛永初年の頃江戸に来て「江戸薩摩」をおこす。当時、江戸随一の人形遣い小平太を擁し、操りの妙と人形衣装の華美と舞台装置の良さで好評をはくした。(文京区教育委員会掲示より)

初代松本幸四郎の墓

延宝2年(1674)-享保15年(1730)。江戸中期の歌舞伎俳優。下総国の生まれ。
屋号は初代のみ大和屋。はじめは久松小四郎といって女形を勤める。のち本姓の松本に戻り立役となり幸四郎と改名した。
二代目市川団十郎と並ぶ名優のひとりと評された。(文京区教育委員会掲示より)


栄松院の周辺図



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