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源覚寺|文京区小石川にある浄土宗寺院、こんにゃくえんま、小石川七福神の寿老人

源覚寺の概要

浄土宗寺院の源覚寺は、常光山西向院と号します。源覚寺は、了蓮社定誉随浪上人伝通院三世が、寛永元年(1624年)創建したといいます。定誉随浪上人は、当寺の他、江戸小塚原誓願寺を中興、駒込定泉寺・龍閑寺を開山、増上寺十八世ともなった名僧です。当寺の毘沙門天像は、小石川七福神の一つとなっている他、閻魔堂の閻魔王は眼病に効力があり、「こんにゃくえんま」として著名です。

源覚寺
源覚寺の概要
山号 常光山
院号 西向院
寺号 源覚寺
住所 文京区小石川2-23-14
本尊 阿弥陀如来像
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 小石川七福神の毘沙門天



源覚寺の縁起

源覚寺は、了蓮社定誉随浪上人伝通院三世が隠居所として寛永元年(1624年)に創建したといいます。定誉随浪上人は、当寺の他、江戸小塚原誓願寺を中興、駒込定泉寺龍閑寺を開山、増上寺十八世ともなった名僧です。当寺の毘沙門天像は、小石川七福神の一つとなっています。

「小石川區史」による源覚寺の縁起

常光山西向院源覺寺。浄土宗鎮西派、知恩院末。本尊阿彌陀如来。當寺は傳通院第三世定譽随波上人が二代将軍秀忠公へ隠居所として願出で、寛永元年に開いたのが始めで、文政頃には境内拝領地千三百四十四坪あつた。地内に古来閻魔堂があり、眼病に驗があると云ひ傳へ、コンニヤクを供物とするので俗に『コンニヤク閻魔』と云はれ、現在に於いても其名が高く、特に正、七兩月の十六日は賽者で賑つてゐる。寺内にはこの外鹽地蔵と稱するものがあり、又幕府の外國奉行たりし堀織部正利煕の墓がある。(「小石川區史」より)

文京区史跡さんぽ実施報告書による源覚寺の縁起

源覚寺は〝こんにゃくえんま″として、江戸時代から庶民に親しまれてきた寺である。江戸時代から16日が縁日で、今日も大変にぎわっている。本尊の閻魔王坐像は眼病にきくと言われ、今でも参拝者が絶えない。そのいわれは、宝暦の頃(1751-64)、眼病をわずらった老婆が、この間魔王に21日間祈願した。
満願の日、老婆の夢枕に閻魔大王が現われ「われの日月に等しい両眼のうち一つをえぐりとって、汝に授くべし」と告げた。翌日老婆の眼は完全に治っていた。しかし、閣魔大王の右眼は黄色く濁っていたという。そこで老婆は感謝の意を、こんにゃくを絶つことであらわした。これが「こんにゃくえんま」と呼ばれる由縁である。
像は鎌倉期の作で、寛文12年(1672)修理の名があり、文化財的価値は高い。この「こんにゃくえんま」を舞台にした文学作品をいくつかあげることができる。森田草平の『煤煙』、樋口一葉の『にごりえ』、夏目漱石の『こころ』などである。
漱石の 『こころ』は、大正3年(1914)の作である。「こんにゃくえんま」付近の描写を要略してみると、次のように記されている。先生は下宿を出て、本郷台を西へ下り、小石川の坂を真直に伝通院の方へ上がった。電車が通ってから、周囲の様子は一変した。左手に砲兵工廠の土塀で、右は原とも丘ともつかない空地に草が一面生えていた。先生は革の中に立って、眺めた。見渡す限り緑が一面に深く茂っていて、神経が休まった。
今から、八十余年前ぐらいの富坂あたりの風景である。先生はやがて、日清戦争の時、ご主人をなくした未亡人と娘の二人暮しの家に下宿する。当時本郷辺は高等下宿といったふうな家がぼつぼつ建てられていた。やがて先生は同郷のKを同宿させる。先生と下宿のお嬢さんとは、交渉が深くなっていく。
11月の寒い雨の降る日、先生は外套を濡らして、例の通り蒟蒻閻魔をぬけて、細い坂路を上って家に帰った。Kの部屋には人かげがなかった。奥さんにKのことを聞くと、一度帰ってまた出たという。先生もふと、にぎやかなところに行きたくなった。
当時は坂の勾配が今よりずっと急であった。道幅も狭く、真直ぐでなかった。そのうえ、谷へ下ると、南が高い建物でふさがり、水はけが悪く、往来はどろどろだった。ことに細い石橋を渡って柳町の通りへ出る間がひどかった。むやみに歩くわけにいかず、路の真中に自然に細長く泥がかきわけられたところを、後生大事にたどって行った。ここで先生はKに出会った。Kと先生は細い路で身体をかわした。Kのすぐ後に若い女が立っていた。その女の顔を見ると、それは家のお嬢さんであった。初寒の雨に濡れた心にKに対する猜疑心が高まっていく。最後にKが自殺し、そこに追いつめた自分にいや気がさし、先生は遺書をしたためるのである。
当時の小石川、こんにゃくえんま周辺の様子が活写されている。(文京区史跡さんぽ実施報告書より)


源覚寺所蔵の文化財

  • 木像閻魔王坐像一体(文京区指定有形文化財)

木像閻魔王坐像一体

源覚寺に伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されている。右眼が黄色く濁っているが、閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして”こんにゃく”を供えつづけたという言い伝えがある。
像は、高さ100.4㎝。ヒノキ材の寄木造りで、彩色を施し、玉眼が嵌入してある。優れたできばえを示し、運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と思われる。銘文によると、寛文12年(1672)に仏師竹内浄正が修理している。
この像は、彫刻美術品として優れているとともに、本区所在の仏像のなかで、古い製作年代に属するものとして貴重な文化財である。
閻魔王は、冥界にあって死者の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も良く知られている。わが国の閻魔信仰は、平安時代後期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった。(文京区教育委員会掲示より)


源覚寺の周辺図



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