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善仁寺|文京区小日向にある浄土真宗本願寺派寺院

善仁寺の概要

浄土真宗本願寺派寺院の善仁寺は、靍高山圓通院と号します。善仁寺は、正応2年(1289)覺如上人関東行化の際に、鶴高日向善仁(法名圓通坊了宗僧都、元享2年1322年寂)が帰依、寺院として創建したといいます。

善仁寺
善仁寺の概要
山号 靍高山
院号 圓通院
寺号 善仁寺
住所 文京区小日向1-5-9
本尊 阿弥陀如来像
宗派 浄土真宗本願寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



善仁寺の縁起

善仁寺は、正応2年(1289)覺如上人関東行化の際に、鶴高日向善仁(法名圓通坊了宗僧都、元享2年1322年寂)が帰依、寺院として創建したといいます。

「小石川區史」による善仁寺の縁起

善仁寺(小日向)
鶴高山圓通院善仁寺。真宗本願寺派、西本願寺末。本尊阿彌陀如来。當寺の開創は後醍醐天皇の元享二年で、開山は圓通坊了宗僧都(元享二年十一月十一日遷化)である。僧都は俗稱を『鶴高日向』と云ひ、此の地の住人で、正應二年覺如上人關東行化の砌之に歸依し、剃髪して門弟となり、後自宅を改めて道場とした。これが善仁寺の起原で、後小田原北條氏の際、その壓迫によつて表面は眞言宗を唱へたといひ傳ふ。慶長年間東本願寺末となつたが、延寶年間西本願寺末に復歸し、文政時代には境内拝領地千九百坪、寺領田地一段二畝を有し、寺中に正徳寺、眞教寺があつた。現在も鶴高氏の子孫が是を薫し、婦人教化の眞宗婦人會を行つてゐる。(「小石川區史」より)

東京名所図会による善仁寺の縁起

善仁寺
善仁寺は小日向水道端町二丁目五十四番地にあり、靍高山と號す、真宗本派、住職鶴高隆憲。
新編江戸志(九)に云、開基鶴高日向善仁と云もの、はじめて起立す、往古は真言宗にして、鶴高は中興の開基なりとぞ、境内に鶴高が経塚あり。
續江戸砂子(三)「享保廿年開板」に云、小日向、往古此所は鶴高日向と云人の領地なり、断絶の後古日向の址というふと、いつの比か小日向といひ来れり、上水端靍高山善仁寺と云一向宗の寺は、此鶴高の開基なり、今水道町の名主飯塚氏は鶴高氏の一族なりと云へり。
當山は鶴高が開基なり、されど日向を以て小日向の名の起源としたるは牽強の説なり、北條分限帳に小日向彌三郎、同弾正とあり、詳細小日向の條に辯じ置けり。(東京名所図会より)


善仁寺の周辺図



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