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本法寺|文京区小日向にある真宗大谷派寺院

本法寺の概要

真宗大谷派寺院の本法寺は、高源山随自院と号します。本法寺は、本願寺八代目蓮如上人が開基となり江州志賀郡堅田新在家に文明3年(1471)創建、通達院良秀(正徳三年寂)が浅草に再興、万治元年(1658)牛込改代町へ移転、延宝6年(1678)に寺号を妙福寺から本法寺へ改称、宝永2年(1705)当地に移転したといいます。

本法寺
本法寺の概要
山号 高源山
院号 随自院
寺号 本法寺
住所 文京区小日向1-4-15
本尊 阿弥陀如来像
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



本法寺の縁起

本法寺は、本願寺八世惠燈大師蓮如上人が開基となり江州志賀郡堅田新在家に文明3年(1471)創建、通達院良秀(正徳三年寂)が浅草に再興、万治元年(1658)牛込改代町へ移転、延宝6年(1678)に寺号を妙福寺から本法寺へ改称、宝永2年(1705)当地に移転したといいます。

「小石川區史」による本法寺の縁起

自源山随自意院本法寺。眞宗大谷派、東本願寺末。本尊阿彌陀如来。當寺は文明三年、眞宗中興の高僧惠燈大師蓮如上人の開創で、初めは江州志賀郡堅田新在家にあつたが、第六世教映上人の時三河に移り、第七世良秀の時牛込改代町に移つて妙福寺と號した。延寶六年本法寺と改稱し、更に寶永六年に小日向水道端の現在の地に移轉した。文政時代には境内拝領地千二百八十一坪あり、寺中に照護寺、廓念寺等があつた。現本堂は明治三十五年の建築で、水道端に於ける屈指の大寺である。(「小石川區史」より)

東京名所図会(牛込区)による本法寺の縁起

妙福寺は田中寺の側にありき、四軒寺の一なり、真宗、東本願寺末(今、大谷派と稱す)、なり、萬冶元戊戌年、浅草元旅籠町より此地に移り、延寶六戊午年六月、本法寺と改稱し、寶永二酉年、小日向水道端へ退轉せり。(東京名所図会より)

東京名所図会(小石川区)による本法寺の縁起

本法寺
(水道端町)六十一番地にあり、高源山と號す、真宗大谷派。住職藤原勝善。(東京名所図会より)

東京名所図会(牛込区)による本法寺の縁起

妙福寺は田中寺の側にありき、四軒寺の一なり、真宗、東本願寺末(今、大谷派と稱す)、なり、萬冶元戊戌年、浅草元旅籠町より此地に移り、延寶六戊午年六月、本法寺と改稱し、寶永二酉年、小日向水道端へ退轉せり。(東京名所図会より)

早稲田大学掲示による本法寺の縁起

高源山随自院本法寺は、東本願寺の末寺で、真宗大谷派に属し、夏目漱石(金之助)の菩提寺である。
夏目家は、代々江戸の名主をつとめた。明治一四年一月に母、二〇年三月に長兄、六月に次兄が本法寺に葬られた。それ以来、漱石はしばしば小日向を訪れた。亡き母を詠んだ句もある。兄の死を悼んだ英文のスピーチを旧制一高で弁じたこともある。蓮如の「御ふみ」の言葉を友人子規に書き送りもした。作家となってからは「坊っちゃん」の清の墓をここに設けるなど、漱石の心の中に本法寺の幻はゆらめきつづけた。
境内には、早稲田大学第一四代総長奥島孝康が揮毫した漱石の句碑がある。(早稲田大学創立125周年記念掲示より)


本法寺の周辺図



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