昌清寺|文京区本郷にある浄土宗の寺院
昌清寺の概要
浄土宗の昌清寺は、嶺松山弘願院と号します。元和元年(1615)に徳川忠長(家光の弟)の母お江が、自害した忠長の菩提を弔うため、忠長の乳母お清の方(昌清尼)を開基として創建しました。
| 山号 | 嶺松山 |
|---|---|
| 院号 | 弘願院 |
| 寺号 | 昌清寺 |
| 住所 | 文京区本郷1-8-3 |
| 本尊 | - |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
昌清寺の縁起
昌清寺は、元和元年(1615)に徳川忠長(家光の弟)の母お江が、自害した忠長の菩提を弔うため、忠長の乳母お清の方(昌清尼)を開基として創建しました。
文京区教育委員会掲示による昌清寺の縁起
当寺は浄土宗嶺松山弘願院昌清寺と称され、元和元年(1615)の創建である。
開祖は朝倉きよ(お清の方)、駿河大納言忠長(家光の弟)の乳母である。父二代将軍秀忠と母お江は忠長を寵愛し、忠長に次期将軍職を譲ろうと考えた。しかし兄家光の乳母春日局が家康に直訴するに及んで、将軍は家光に決まった。忠長は駿河城主となったが、なお大坂城主を要請したため家光の怒りにふれ、領地は没収され、高崎城に幽閉され自害した。寛永十年(1633)忠長28歳であった。
忠長死後、忠長夫人お昌の方(信長の曾孫)は剃髪し松孝院と号した。乳母のお清も剃髪し、お昌の一字をもらい、昌清尼と称した。松孝院は忠長の菩提を弔うにあたり公儀に配慮し、自分に代わって乳母のお清に昌清寺で忠長の供養をさせた。(文京区教育委員会掲示より)
昌清寺の周辺図
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昌清寺山門