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新福寺|文京区白山にある真宗大谷派寺院

新福寺の概要

真宗大谷派寺院の新福寺は、日々山と号します。新福寺は、鎌倉時代に結城城主中務太輔廣綱の弟が出家して祐廣法師と称し、結城稱名寺境内に創建、十一代釋浄玄の代に江戸へ移転して中興、貞享2年(1685)(或は寛文8年1668年)当地へ移転したといいます。

新福寺
新福寺の概要
山号 日々山
院号 -
寺号 新福寺
住所 文京区白山3-1-23
宗派 真宗大谷派
葬儀・墓地 -
備考 -



新福寺の縁起

新福寺は、鎌倉時代に結城城主中務太輔廣綱の弟が出家して祐廣法師と称し、結城稱名寺境内に創建、十一代釋浄玄の代に江戸へ移転して中興、貞享2年(1685)(或は寛文8年1668年)当地へ移転したといいます。

「小石川區史」による新福寺の縁起

日日山新福寺。眞宗大谷派、東本願寺末。本尊阿彌陀如来。當寺は鎌倉時代に下野國結城の城主中務太輔廣綱公の弟が出家して祐廣法師と稱し、結城稱名寺境内に一宇を建立したのが起源であるといふ。以後子孫代々相續し、十一代釋浄玄の時御府内へ引越し、小石川築地に於いて當寺を中興した。承應二年築地御用地の爲め、他の十四ケ寺と共に一時小石川餌差町に移轉し、寛文八年にはその地を古跡除地として拝領したが、貞享二年更に御用地の爲め橋戸町へ引越した。是が現在の地である。但し別の寺傳に依れば、慶長十三年江戸引地の際は京橋南八丁堀に中興し、寛文八年に今地へ引移つたと云ふ。當寺は西本願寺末であつたが、寛文の頃東本願寺派へ轉派した。文政時代には境内千百十四坪、内抱田畑五百五十坪、持添地二百九十一坪と記されてゐる。現本堂は安政六年の普請と云ふ。尚ほ現在の堂宇の礎石は白山御殿の礎石を下附されたものだといひ傳へてゐる。(「小石川區史」より)

東京名所図会による新福寺の縁起

新福寺
新福寺は白山御殿町廿三番地にあり、植物園南の低地なり、日々山と號す、真宗大谷派、當寺は往時傳通院の南、六角越前守邸邊(表町)にありしが、六角氏拝領地となりし頃ここに移れりといへり、阿弥陀如来を本尊とす。
小石川志料に云、純庸按、延寶二開板江戸安見圖に、上富坂を北行すれば傳通院、東端辻番の側真福寺と記したるは、此寺なり、されば當所に至りしは延寶の後なるべし。
墓地は、廿五、廿六番地に跨がれり。(東京名所図会より)


新福寺所蔵の文化財

  • 鐘撞料割付覚(文京区登録文化財)

新福寺の周辺図



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