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心光寺|文京区白山にある浄土宗寺院

心光寺の概要

浄土宗寺院の心光寺は、護念山薬應院と号します。心光寺は、功刀喜太夫(心光院念譽道専居士)が開基、光蓮社明譽文宿上人が開山となり、寛永5年(1628)本郷田町に創建、承応2年(1653)当地へ移転したといいます。明治43年隣地にあった浄雲寺を合併したといいます。

心光寺
心光寺の概要
山号 護念山
院号 薬應院
寺号 心光寺
住所 文京区白山5-36-5
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



心光寺の縁起

心光寺は、功刀喜太夫(心光院念譽道専居士)が開基、光蓮社明譽文宿上人が開山となり、寛永5年(1628)本郷田町に創建、承応2年(1653)当地へ移転したといいます。明治43年隣地にあった浄雲寺を合併したといいます。

「小石川區史」による心光寺の縁起

浄雲院心光寺。浄土宗鎮西派、傳通院末。本尊は阿彌陀如来。當寺は明治四十三年相隣れる心光寺、浄雲寺の二寺を合併して浄雲院心光寺としたもので、それ以前は二寺として獨立的に存在した。心光寺は護念山薬王院と稱へ、その開創は寛永五年、開山は戸崎町無量院の第二世の光蓮社明譽上人文宿和尚(正保三年四月二十四日寂)、開基は心光院念譽道専居士、俗名功刀喜太夫で、初めは本郷丸山田町にあり、無量院の末寺であつた。承應二年田町が御用地として召上られ、現在の地に移つた。『文政書上』には境内四百六十七坪餘と記されてゐる。
浄雲寺は幡稲山と號し、寛永五年に高橋右近之助法號浄雲が、現在の地に一寺を建立して、傳通院第八世頓譽智哲上人を開山と仰いたのがその開創で、爾来傳通院末寺であつた。幡稲山の山號は、元此の地に八幡宮と稲荷社があつたのに因んだもので、文政頃には境内除地千七百四十三坪餘あり、内門前町屋も含まれてゐた。斯の如く兩寺各別に存在したが、明治四十一年、心光寺は近火の爲め堂宇全部を烏有に歸し、次いで明治四十三年無量寺より離末して、浄雲寺の本山傳通院の末寺となり、同年四月浄雲寺と合併して一寺となつた。但し現本堂は舊浄雲寺の地域で、舊心光寺地は空地となつてゐる。現本堂は舊本堂が大正大震災の際に大破したので、昭和三年に再建したものである。(「小石川區史」より)

東京名所図会による心光寺の縁起

心光寺
白山前町三十四番地にあり。護念山薬應院と號す。浄土宗小石川無量院末。寛永五戌辰年起立。開山は明譽文宿上人なり。寺地始は本郷田町の邊にありしが。承應二癸巳年此地へ移る。(東京名所図会より)


心光寺所蔵の文化財

  • 涅槃図(文京区登録文化財)

心光寺の周辺図



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