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地蔵寺|荒川区西尾久にある真言宗霊雲寺派寺院

地蔵寺の概要

真言宗霊雲寺派の地蔵寺は、金光山宝珠院と号します。宝暦元年(1751)に分了智範和尚が地蔵堂として創建、宝暦9年、武蔵国久良郡金沢領寺之前村(六浦藩米倉丹後守領分)に所在していた無住の地蔵寺の寺名を譲り受け、現寺号となりました。荒川辺八十八ヶ所霊場12番札所、豊島八十八ヶ所霊場20番札所です。

地蔵寺
地蔵寺の概要
山号 金光山
院号 宝珠院
寺号 地蔵寺
住所 荒川区西尾久3-10-6
宗派 真言宗霊雲寺派
葬儀・墓地 -
備考 荒川辺八十八ヶ所霊場12番札所、豊島八十八ヶ所霊場20番札所



地蔵寺の縁起

地蔵寺は、宝暦元年(1751)に分了智範和尚が地蔵堂として創建、宝暦9年、武蔵国久良郡金沢領寺之前村(六浦藩米倉丹後守領分)に所在していた無住の地蔵寺の寺名を譲り受け、現寺号となりました。

真言律宗江戸湯島霊雲寺末、金光山寶珠院ト号ス。本尊地蔵立像長ニ尺許、聖徳太子ノ作脇士浪切不動坐像長一尺三寸。(新編武蔵風土記稿より)


地蔵寺所蔵の文化財

  • 地蔵寺文書(荒川区登録文化財)
  • 一月寺文書(荒川区登録文化財)
  • 板碑(文明15年10月7日銘)(荒川区指定文化財)

地蔵寺文書

地蔵寺は、金光山宝珠院と号す真言宗霊雲寺派の寺院です。宝暦元年(1751)に、分了智範和尚(開基)が地蔵堂を創建したことに始まります。同9年、武蔵国久良郡金沢領寺之前村(六浦藩米倉丹後守領分)に所在する地蔵寺が無住であったため、文了和尚は上尾久村の名主らとともに、寺名の譲渡を藩主米倉氏に懇願し、幕府の許可も得て地蔵寺と改めました。この地蔵寺の縁起を記したものが、宝暦9年「地蔵寺引寺記録」です。地蔵寺文書は、この他明治2年「霊雲寺第十五世大和上御筆」など4点の史料からなります。
地蔵寺には、別系統の「一月寺文書」が現存します。(荒川区教育委員会 荒川区の文化財より)

一月寺文書

地蔵寺の第九代住職、一月正空氏の出身が松戸市一月寺に関わったことにより伝存する史料です。金龍山一月寺(院号は梅林院)は普化宗の総本山で、別名虚無僧寺とも呼ばれました。
普化宗は、中国唐代の普化禅師を宗祖とする禅の一派で、その徒を虚無僧と称しましたが、江戸時代には京都明暗寺・下総国小金一月寺・武蔵国青梅鈴法寺が根本道場とされました。幕府は普化禅宗として公認して寺社奉行の配下に置き、関東では一月寺と鈴法寺に宗徒を取り締まらせています。
「一月寺」文書は、普化宗に関する文書を中心とし、天保3年-明治3年(1832-1870)までとなっています。天保3年の「十二郡取締穀代高帳」は虚無僧寺院の財政基盤を知ることのできる貴重な史料であり、「本則」は一月寺住職が弟子に与えた免許状とされるものです。
しかし、明治3年の火災や、翌4年の普化宗廃止により、一月寺は廃絶しています。(荒川区教育委員会 荒川区の文化財より)


地蔵寺の周辺図


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