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浄光寺|徳川将軍家御膳所、雪見寺、荒川区西日暮里にある真言宗豊山派寺院

浄光寺の概要

真言宗豊山派寺院の浄光寺は、法輪山法幢院と号します。境内からの雪見が有名となって雪見寺と呼ばれました。境内左手には元禄4年(1691)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像があります。荒川辺八十八ヶ所霊場8番札所、豊島八十八ヶ所霊場5番札所です。

浄光寺
山号 法輪山
院号 法幢院
寺号 浄光寺
住所 荒川区西日暮里3-4-3
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 諏方神社の別当寺、徳川将軍家御膳所、荒川辺八十八ヶ所霊場8番札所、豊島八十八ヶ所霊場5番札所



浄光寺の縁起

浄光寺の創建年代は不詳ですが、当寺は諏方神社の別当寺であったことから、諏方神社の創建年代と同時期の元久2年(1202)前後の創建と推定できます。元禄四年(1691)には空無上人の勧化により江戸六地蔵の一つが安置された他、元文2年(1737)以降には将軍鷹狩りの際の御膳所となっていました。

新編武蔵風土記稿による浄光寺の縁起

諏方神社)別当浄光寺
新義真言宗田端与楽寺末、法輪山法幢院と号す。本尊薬師。元文2年4月14日、有徳院殿御遊猟の時始て当寺へ成せ給ひ、同5年正月25日御膳所に命せられしより、今も此邊放鷹の節は御膳所となれり。
御腰掛石。庭前にあり。有徳院殿始て渡御ありし時憩せ給ふ石なりと云傳ふ。
人麿社。頓阿作の像を安す。享保年中起立す。
地蔵。銅像にて近郷六地蔵(江戸六地蔵)の一なり。(新編武蔵風土記稿より)

文京区史跡さんぽ実施報告書による浄光寺の縁起

本寺は真言宗豊山派の寺院で、法輪山法憧院と称されている。建立は太田道灌とか豊島経康とか言われているが詳らかでない。江戸時代は諏方神社の別当寺であった。別当寺とは、神社の境内に建てられた寺院で、神仏習合思想の現れである。社僧(別当)が読経、祭輿加持祈藤を行うとともに、寺社の経営管理を行った。明治元年(一八六八)神仏分離令によって、廃絶または分離した。元文2年(一七三七)八代将軍童宗鷹狩りに立ち寄り、それ以後禦膳所となった。境内には「将軍腰かけの石」がある。
眺望のすぐれた諏訪台の上にあって、展望がすばらしく、特に冬の雪景色が美しく眺められることから、「雪見寺」と呼ばれている。(文京区史跡さんぽ実施報告より)

江戸六地蔵と雪見寺(浄光寺)の案内

山門をくぐって左手に、高さ一丈(約3メートル)の銅造地蔵菩薩がある。元禄四年(1691)、空無上人の勧化により江戸東部六ヶ所に六地蔵として開眼された。もと門のかたわらの地蔵堂に安置されていたもので門前は「地蔵前」ともよばれる。
浄光寺は、真言宗豊山派の寺院。法輪山法幢院と称し、江戸時代までは諏方神社の別当寺であった。元文2年(1737)、八代将軍吉宗が鷹狩の際にお成りになり、同5年以降徳川将軍御膳所となった。境内に「将軍腰かけの石」がある。
眺望にすぐれた諏訪台上にあり、特に雪景色がすばらしいというので「雪見寺」ともよばれた。(荒川区教育委員会掲示より)


浄光寺所蔵の文化財

  • 銅造地蔵菩薩立像(荒川区指定文化財)
  • 銅造地蔵菩薩坐像(荒川区登録文化財)
  • 後北条氏関係資料(荒川区登録文化財)
  • 浄光寺文書(荒川区登録文化財)
  • 庚申塔群7基寛文10年8月15日銘(荒川区登録文化財)
  • 六地蔵元禄16年2月15日銘(荒川区登録文化財)

銅造地蔵菩薩立像

山門をくぐると左手に、江戸六地蔵の三番目として知られるこの大きな地蔵菩薩が立っています。
天保9年(1837)刊の「東都歳時記」に、江戸六地蔵は、銅造泥塑の仏像造りに秀でた下谷心行寺二世空無上人の権化によって元禄4年(1691)に開眼したものとあります。
一番は駒込の瑞泰寺、二番は千駄木の専念寺、三番は浄光寺、四番は下谷の心行寺、五番は上野大仏堂のうち、六番は浅草寺の正智院に安置されました。現存するのは専念寺と浄光寺だけです。
もと、門の傍に安置されていましたが、昭和4、5年頃に境内に移した際に、台座の下から釈迦・弥勒などの小像が出土し、その中に「空無」の刻名もみられたといいます。
門前の石塔正面に「六地蔵三番目、新堀浄光寺、願主秀範」、右側に「宝永ニ乙酉年六月十五日」の銘文があり、地蔵菩薩の衣の裾には文化3-6年(1806-1809)にかけての五人の法名が追刻されていて、江戸時代から多くの人々の信仰を集めていたことがわかります。


浄光寺の周辺図


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