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本応寺|足立区谷在家にある日蓮宗寺院

本応寺の概要

日蓮宗寺院の本応寺は、長命山と号します。本応寺は、浅香藤九郎が開基となり、日蓮十八高弟の一人天目上人が正応元年(1288)創建したといいます。中山法華経寺末です。

本応寺
本応寺の概要
山号 長命山
院号 -
寺号 本応寺
住所 足立区谷在家2-19-7
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本応寺の縁起

本応寺は、浅香藤九郎が開基となり、日蓮十八高弟の一人天目上人が正応元年(1288)創建したといいます。

足立区教育委員会掲示による本応寺の縁起

本寺の創建は、正応元年(1288)とされ、開山は、日蓮十八高弟の一人天目上人であり、開基は、浅香藤九郎と伝えられている。
特に第9世日領上人は、不受不施の異流を唱え、寛永7年(1630)の身延池上論争の折、不受不施派の代表の一人として加わった著名な僧である。
本堂には、中央に経題を置き、両側に多宝・釈迦の二仏、無辺形・上形・浄行・安立行の四菩薩、四隅に四天王、両辺に不動・愛染の二明王、普賢・文殊の二菩薩、鬼子母神、三十番神などの諸像が十界勧請曼荼羅の形式によって並べられている。
それぞれの像は、江戸時代に庶民の信仰が制約されたとき、法華経を信じる者の守護神として教団の発展に寄与されたものである。
このほかに、題目塔、板碑などの石像物がある。(足立区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による本応寺の縁起

本応寺
日蓮宗、下総國葛飾郡中山法華経寺末、長命山と號す、開山僧天目延文元年四月廿六日寂す、此僧は日蓮の「弟子にて、其徒にては著名の人なり、今世に勝劣派と云もの皆此天目を祖とす、恐らくは勧請せし開山なるべし、本尊三寳祖師を安す。
三十番神社、鬼子母神社。
鐘楼。元文元年十一月鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)

足立区仏教会資料による本応寺の縁起

本応寺の創建は、いまを去る690年、正応元年(1288)宗祖日蓮大聖人弟子中老僧美濃公天目日英上人の開山にして、由緒ある寺なりと伝えられる。時代の流れにより、天正年間(1573-9)、難に遭い寺勢を失うが、中興弁悟院日衛上人、伽藍整備に尽力、今日の基礎を築くに至る。近代に至り、大正12年の関東大震災、昭和20年大空襲と、伽藍、境内地喪失再三になりしも今日に至る。
本尊は中央に経題を置き、両側に多宝・釈迦の二仏、無辺形・上形・浄行・安立行の四菩薩、四隅に四天王、両辺に不動・愛染の二明王、普賢・文殊の二菩薩、鬼子母神、三十番神などの諸像が、十界勧請曼荼羅の形式をとってならべられている。それぞれの像は、江戸期、庶民の信仰が制約されていたとき、法華経を受持する者の守護神として、寺勢の発展に活用されたものである。(足立区仏教会資料より)

足立風土記資料寺院明細による本応寺の縁起

本山下総国葛飾郡中山村法華経寺末 東京府管轄武蔵国足立郡谷在家村 長命山 本応寺
創立正応元年、開基宗祖日蓮弟子中老天目、文禄4年当寺11世福代下総国中山法華経寺末ト成。
第37世日要、49歳。埼玉県管轄武蔵国足立郡前田村農大熊民蔵亡四男、文政11年5月7日於当寺得度、明治3年9月22日住職
弟子観明、12歳。埼玉県管轄武蔵国足立郡草加宿之内篠葉村農室木吉十郎二男、明治元年正月15日於当寺得度。以上僧二人。
境内、見捨地1町4反6畝11歩。内現在境内2反6畝11歩、田反別9反歩、畑反別3反歩。合1町2反歩。是は昨辛末ヨリ旧小菅県御庁ヨリ年貢地ニ相成候。
檀家135軒(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)


本応寺の周辺図


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