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法立寺|足立区谷中にある日蓮宗寺院

法立寺の概要

日蓮宗寺院の法立寺は、常住山と号します。法立寺は、河合平内左衛門尉(明応2年1493年寂、法名起応院道閑日法居士)を開基とし、名主久右衛門の先祖が当村を開拓した際、法寿院日立上人を開山に迎えたといいます。

法立寺
法立寺の概要
山号 常住山
院号 -
寺号 法立寺
住所 足立区谷中2-11-9
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



法立寺の縁起

法立寺は、河合平内左衛門尉(明応2年1493年寂、法名起応院道閑日法居士)を開基とし、名主久右衛門の先祖が当村を開拓した際、法寿院日立上人を開山に迎えたといいます。

新編武蔵風土記稿による法立寺の縁起

(久右衛門新田)法立寺
日蓮宗、嶋根村安穏寺の末、常住山と號す、當寺は名主久右衛門が先祖、當村開墾の時、己が屋敷をさいて寺地となし、起立せしと云、開山日立は寛永七年三月十八日寂す、本尊三寳祖師を安ず。
山王社、三十番神堂(新編武蔵風土記稿より)

「ブックレット足立風土記花畑地区」による法立寺の縁起

法立寺(谷中2丁目11−9)
日蓮宗のお寺で、常住山法立寺と号しています。本尊は大曼荼羅(題目とこれをめぐる諸仏諸尊を文字で記したもの)です。中央須弥壇の脇の仏壇に、守護神として鬼子母神が祀られています。
寺伝によれば、法立寺の基を創ったのは、1493(明応2)年10月24日に没した起応院道閑日法居士(河合平内左衛門尉)と伝えられ、室町時代のこととされています。江戸時代後期編纂の地誌「新編武蔵風土記」によれば、当寺は、名主久右衛門先祖が当村を開発したとき、自分の屋敷地を寺の敷地として、1630(寛永7)年3月8日に寂した日立上人によって開山されたと伝えています。およそ江戸時代初期ころの開山を物語っています。
開山の日立上人は、僧侶としては、法華経を信じないで悪く言うものからは布施は受けず、信者としては、他宗の僧に布施は行わないという不受不施論を主張し、松戸の平賀本土寺を追われた日慧上人の弟子でした。
墓地には、久右衛門新田を開いた浅野家先祖代々の墓や、嘉兵衛新田を開いた一家の伊藤嘉兵衛家分家「四丁さま」家の墓などがあります。(「ブックレット足立風土記花畑地区」より)

足立区仏教会資料による法立寺の縁起

当山は、足立区内の多くの寺院と同様、実質的には江戸時代のはじめ、新田開発のころに寺観を整えたものと思われるが、それ以前、室町時代、明応(1492-1500)のころ、起應院道閑日法居士を開基として以来の歴史が伝えられている。開山法寿院日立上人は、千葉県松戸市の本山平賀本土寺を江戸幕府の不受不施派禁制によって除歴された日慧上人の門弟であった。
爾来、第20世淳孝院日充大徳によって中興され、第29世本教院日詮大徳は天保(1830-43)のころ、本堂庫裡をはじめ三十番神堂などを再興して盛んな教勢を示した。現在の本堂は、第36世(本山頂妙寺第60世、台東区池之端妙音寺第35世)泰通院日功の代、総代浅野伊十郎らの奉仕によって、大正11年頃再建された。その後、第37世本光院日旭上人、第38世慈宏院日諄上人、第39世(日暮里善性寺第32世から身延山久遠寺87世法主に普董)の代に徐々に整備されたが、近年の地域環境の変化に大して、昭和48年、開創500年を記念として書院を建立、墓地や境内の庭園を整備。昭和61年浄行菩薩が寄進された。(足立区仏教会資料より)

足立風土記資料寺院明細による法立寺の縁起

小本寺国土安穏寺末 東京府管轄武蔵国足立郡久右衛門新田 常住山 法立寺
創立年暦不詳、開基日立
第22世智誠、壬申年42。新治県管轄下総国香取郡飯塚村農越川兵左衛門三男、天保12年5月13日同国同郡中村於日本寺得度、元治元年4月11日入寺。
弟子智選、壬申年12.東京浅草梅堀武蔵野栄吉次男、慶応3年於当村得度。以上僧二人。
境内田反別3反20歩、畑反別1畝20歩、除地。檀家、50軒。(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)


法立寺の周辺図




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