常楽寺|足立区竹の塚にある真言宗豊山派の寺院
常楽寺の概要
真言宗豊山派寺院の常楽寺は、観林山と号し、もと西新井大師総持寺末です。荒綾八十八ヶ所霊場の第20番札所です。
| 山号 | 観林山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 常楽寺 |
| 住所 | 足立区竹の塚1-10-16 |
| 本尊 | 聖観音坐像 |
| 宗派 | 真言宗豊山派 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | 荒綾八十八ヶ所霊場の第20番札所 |
常楽寺の縁起
足立区教育委員会掲示による常楽寺の縁起
当寺は真言宗豊山派で観林山常楽寺という古い寺で、寛永年間(1624-1643)河内与兵衛によって中興されたと伝えられている。
本尊は聖観音坐像で江戸中期のものと思われる。他に弘法大師・興教大師・閻魔の坐像・六地蔵、文久2年(1862)の十三仏画等がある。
墓地には、足立が生んだ江戸の文人、竹塚東子の墓がある。東子は実名を谷古宇四郎左衛門といい、寛政・享和・文化にかけて著作活動をした文人である。
東子は山東京伝の門人で、俳諧を越ヶ谷の会田吾山に学び、狂歌・落語・活花等もよくした風流人でもあった。出世作に寛政2年(1790)刊の「田舎談義」があり、文化元年(1804)刊の「敵討名誉一文字」以降は敵討ものを主とした。文化12年(1815)11月13日没、法名は喬雲醍醐居士という。(足立区教育委員会)
足立風土記資料寺院明細による常楽寺の縁起
中本寺西新井大師総持寺末 東京府管轄武蔵国足立郡竹塚村 観林山常楽寺
創立年暦并開山不詳、香衣一色着用寺格
第25世宥貞、壬申50歳。印旛県管轄下総国印旛郡楠山村農植村平兵衛二男、天保10年3月20日右西新井大師総持寺於得度、弘化3年10月5日入寺、本山大和国小池坊留学25ヶ年。以上僧一人。
境内、2反1畝歩、但除地。檀家、53軒。門末、無之。庵室等、無之。
常楽寺の周辺図
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常楽寺山門
常楽寺六地蔵
常楽寺閻魔堂
