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長建寺|足立区南花畑にある浄土宗寺院

長建寺の概要

浄土宗寺院の長建寺は、隆光山正受院と号します。長建寺は、寛永8年(1631)遍蓮社周誉上人(延宝8年=1680寂)が牛込に創建、その後本所原庭へ移転、関東大震災まで本所にあったといいます。関東大震災により被災、当地にあった正受院と合併し、当地へ移転しました。正受院は、元禄年間(1688ー1704)敬首私上人が開山、哲三尼が開基となり当地に創建、明治時代には花畑小学校の前身である公立小学校綾渕学校が設置されていたといいます。

長建寺
長建寺の概要
山号 隆光山
院号 正受院
寺号 長建寺
住所 足立区南花畑4-19-18
本尊 阿弥陀如来
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長建寺の縁起

長建寺は、寛永8年(1631)遍蓮社周誉上人(延宝8年=1680寂)が牛込に創建、その後本所原庭へ移転、関東大震災まで本所にあったといいます。関東大震災により被災、当地にあった正受院と合併し、当地へ移転しました。正受院は、元禄年間(1688ー1704)敬首私上人が開山、哲三尼が開基となり当地に創建、明治時代には花畑小学校の前身である公立小学校綾渕学校が設置されていたといいます。

「東京名所図会」による長建寺の縁起

長建寺
長建寺は。同町(中之郷原庭町)二十一番地に在り。隆江山と號し。珠清院と稱す。浄土宗にして。牛込袋町光照寺の末なり。明暦三年小林珠清尼の開基に係る。(「東京名所図会」より)

「新編武蔵風土記稿」による長建寺の縁起

(花又村)正受院
浄土宗の律院なり、下総國小金東漸寺の末、来迎山と號す、開山敬首は、寛延元年九月廿日寂せり、本尊三尊弥陀を安ず、聖徳太子の作と云、又寺寳に小野篁の作れる地蔵を置けり
秋葉社。
稲荷社。出世辨財天を合祀せり。
三峰社。(「新編武蔵風土記稿」より)

「足立風土記資料花畑地区」による長建寺の縁起

長建寺(南花畑4丁目19)
浄土宗のお寺で、隆光山正受院長建寺と号しています。
もともと同寺の場所には、正受院というお寺がありました。そのお寺は、元禄年間(1688ー1704)、敬首私上人が開山、哲三尼により開基されたと伝えられています。1874(明治7)年に、現在の花畑小学校の前身である公立小学校綾渕学校が開校し、1900(明治33)年11月、花畑尋常高等小学校が開校するまでの25年間、地域の子どもたちの教育の場ともなっていました。
長建寺は、本所原庭町(現・墨田区東駒形)にあったお寺で、関東大震災で焼失した後、1925(大正14)年、正受院と合併し、現在地に移りました。1631(寛永8)年、遍蓮社周誉上人により開山されたと伝えられます(江戸後期に幕府が編纂した「御府内備考続編」には、1657(明暦3)年の開山とも記されています)。もともと、牛込で創建されたという説もありますが、定かではありません。その後、江戸時代後期までには、江戸本所原庭町(現・墨田区東駒形)に移転していました。本尊は阿弥陀如来像です。
地蔵盆
本尊阿弥陀如来の左側に、正受院から引き継がれたと思われる地蔵菩薩像が安置されています。毎年8月24日には、この像が本尊の前に祀られ、地蔵盆が行われました。手料理を持ち寄り、本堂で食べたり、踊ったり、人々が多く集まり、昼から夕方まで、賑わったそうです。1961〜62(昭和36〜37)年頃、地域の念仏講を先達していた老人たちによって始められましたが、地域の都市化とともに、行われなくなりました。(「足立風土記資料花畑地区」より)

足立区仏教会資料による長建寺の縁起

長建寺は寛永8年(1631)、遍蓮社周誉上人(延宝8年=1680寂)により創建された。
以前は本所原庭(現墨田区東駒形)にあり、長建寺29世功蓮社徳誉上人により、太田呑龍さま東京出張所とし、参詣でたいへんにぎわっていた。
大正12年、関東大震災によりすべてを焼失したため、徳誉上人は大正14年、現在地花畑の正受律院を譲り受け合併、寺号を長建寺とした。(足立区仏教会資料より)


長建寺の周辺図


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