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円泉寺|足立区栗原にある浄土宗寺院

円泉寺の概要

浄土宗寺院の円泉寺は、大光山観音院と号します。円泉寺は、名主嘉兵衛の先祖が開基となり、正保3年(1646)單蓮社歴呑上人(延宝2年1674年寂)が開山したと伝えられます。荒綾八十八ヶ所霊場71番札所です。

円泉寺
大光山円泉寺の概要
山号 大光山
院号 観音院
寺号 円泉寺
住所 足立区加平2-6-16
本尊 阿弥陀如来
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 荒綾八十八ヶ所霊場71番札所



円泉寺の縁起

円泉寺は、名主嘉兵衛の先祖が開基となり、正保3年(1646)單蓮社歴呑上人(延宝2年1674年寂)が開山したと伝えられます。

新編武蔵風土記稿による円泉寺の縁起

(嘉兵衛新田)圓泉寺
浄土宗、京都知恩院末、大光山と號す、名主嘉兵衛が先祖開基すと云、開山真誉歴呑延宝二年正月朔日寂す、本尊三寳の弥陀を安ず。
観音堂(新編武蔵風土記稿より)

「ブックレット足立風土記花畑地区」による円泉寺の縁起

圓泉寺(加平2丁目6)
京都の知恩院を本山とする浄土宗のお寺で、大光山観音院圓泉寺と号し、本尊は阿弥陀如来像です。1646(正保3)年に、單蓮社歴呑上人によって開山されたといわれています。伊藤嘉兵衛家と相前後して、当地に移住し、嘉兵衛新田開発を進めた吉田家の1反程の私有墓地とその周囲の田畑1町2反をもとに創建されたと伝えられています。墓地には、開山の暦呑上人や吉田家歴代の墓などがあります。
神宮寺墓地
圓泉寺墓地の北西隅に、柵に囲まれた墓石群があります。ここは神宮寺墓地といわれています。この神宮寺墓地は、現在の加平2丁目8番の一角の北東隅の私有地にあったのを、区画整理事業の際に、圓泉寺の墓地に改葬したものです。江戸時代後期にはすでに、「神宮寺」と称する本尊として「大日」を安置していた寺があったことが、「新編武蔵風土記」に記されています。(「ブックレット足立風土記花畑地区より)

足立風土記史料寺院明細による円泉寺の縁起

本寺西京東山知恩院 東京府管轄武蔵国足立郡嘉兵衛新田村 大光山円泉寺
宗祖円光大師幾世法孫未詳、正保3年3月暦呑和尚創立、住職年数29年、延宝3年寂ス、其余不詳。
第16世住職有山壬申63歳。長野県管轄信濃国更級郡平久保村農田中忠蔵三男、文政8年10月11日東京芝増上寺山内通元院ニ於得度、文政9年正月11日増上寺ヘ入寺、文政12年3月15日ヨリ同山天山寮ニテ学修、弘化3年21日当寺ヘ住職、明治5年迄住職、年数27年。以上僧壱人。
境内3反8畝歩。但9畝28歩、明治4年地所御改ニ付増歩。合4反7畝28歩。内御除地現在境内2反25歩。元御除地田畑反別2反7畝3歩、明治4年御年貢ニ相成ル。此高8斗5升1合3勺。
檀家36軒。(足立風土記史料寺院明細より)

足立仏教会資料による円泉寺の縁起

浄土宗の寺で、往昔失火焼失せしとか、古事記録など一切現存せるものなく、由緒沿革を評記するを得ず。わずかに現存せる過去帳と、古老の言を証として、略記するものなり。当寺は大光山観音院円泉寺と号し、本尊は阿弥陀如来、開山は單蓮社歴呑上人なり。爾来約340年以上経過せるものにて、その間、焼失などの災厄に遇い幾変遷あり。明治5年、第16世有山和尚の代に、名主嘉兵衛氏宅の一部の寄付を得て、旧本堂を修築建立したるものなり。
その後、暴風・大震災などに遭遇し、被害を得たるをもって、本堂改築の計画を進めたるも、農不作などの天災のため計画どおり運ばず、その都度修繕をもって小康を保たせるも、その後、腐朽甚しく、その筋の認可を得て、旧本堂を除却して本堂庫裡新築を了す。時に昭和17年5月、第19世俊哲の時代なり。
その後、昭和28年10月、本堂を新築し、昭和48年12月檀徒控室を新築し、現在に至る。第20世秀栄の時代なり。(足立風土記史料寺院明細より)


円泉寺の周辺図




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