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宮城氷川神社|足立区宮城の神社

宮城氷川神社の概要

宮城氷川神社は、足立区宮城にある氷川神社です。宮城氷川神社は、豊島重信の子重中が南北朝時代に足立郡宮城の地を開発、守護神として武蔵国一宮氷川神社の分霊を勧請して創建、北條氏滅亡時に宮城氏も滅亡したものの、江戸時代初期の村落成立時に改めて村落の鎮守社として祀ったといいます。

宮城氷川神社
宮城氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 三峰神社、浅間神社、稲荷神社
際日 例大祭9月15日
住所 足立区宮城1-38
備考 -



宮城氷川神社の由緒

宮城氷川神社は、豊島重信の子重中が南北朝時代に足立郡宮城の地を開発、守護神として武蔵国一宮氷川神社の分霊を勧請して創建、北條氏滅亡時に宮城氏も滅亡したものの、江戸時代初期の村落成立時に改めて村落の鎮守社として祀ったといいます。

新編武蔵風土記稿による宮城氷川神社の由緒

(宮城村)氷川社
村の鎮守とす、圓満寺の持なり、本地佛なりとて、十一面観音を置り。
末社。稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による宮城氷川神社の由緒

宮城氷川神社由緒
祭神素盞嗚尊、例祭毎年九月十五日
当社の由緒は旧記を欠きその詳細は明らかではない。しかし按ずるに南北朝時代(一三一八ー九二)の昔武蔵国豊島郡一円を領していた豊島重信の子重中が新たに足立郡宮城の地を開発し、宮城八郎と称して居館をこの地に構えたとき守護神として足立郡大宮郷(現埼玉県大宮市)に鎮座する式内社(延喜式神名帳記載)武蔵一ノ宮氷川神社の分霊を勧請して祀ったのが始めである。そのころ宮城の地名はすでに足立姫による姫の父足立庄司宮城宰相の名に基づき、地名として存在していたものと考えられるが伝説による人物は、人皇四十八代聖武天皇の神亀天平時代(七二四ー四八)の人なれば、その実在必らずしも信ずべきにあらず。重中の後四代の子宮城泰業のころ泰業は相州小田原(現神奈川県小田原市)の北條氏に属し、武蔵国岩槻城(現埼玉県岩槻市)にあったが天正十八年(一五九〇)七月北條氏政が豊臣秀吉によって滅ぼされたとき宮城氏も亦北條氏と共に滅びた。しかし守護神は宮城氏没落後も猶この地に鎮座し、江戸時代宮城の地が近世村落として成立したとき、改めて鎮守社として之を祀り、十一面観世音菩薩を本尊とした。蓋し神仏習合によるものである。
その後、大正二年三月、荒川河川改修工事が行わるるや、工事遂行のため社殿移転の議が起り、その結果現在の宮城一丁目三十八番六号の地に遷座することになった。しかしその社殿も昭和二十年四月十三日の戦災により焼失したので、昭和二十年十月旧地に再建した。しかるにその後該地に宮城公演が設置されることになったので、境内の一部と公園敷地一部を交換して昭和三十年十月現在の地に新築移転することになり、今日に及んでいるのである。因みに境内には伊弉諾尊伊邪那美尊を祭神とする三峰神社、木花咲邪媛命を祭神とする浅間神社、宇迦御魂命を祭神とする稲荷神社、が摂社として祭祀されている。昭和六十二年正月朔日(境内掲示より)


宮城氷川神社の周辺図


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