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入谷氷川神社|足立区入谷の神社

入谷氷川神社の概要

入谷氷川神社は、足立区入谷にある氷川神社です。入谷氷川神社の創建年代は不詳ですが、豊臣秀吉の関東攻めの時に白幡を立てたことから白幡八幡と呼ばれるようになったといい、戦国時代後期には八幡社であったことがわかります。新編武蔵風土記稿が編纂された江戸時代後期にも八幡社とされていることから、明治時代以降に氷川神社と改称したと思われます。

入谷氷川神社
入谷氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
合祀 -
境内社
住所 足立区入谷2-25-5
備考 -



入谷氷川神社の由緒

入谷氷川神社の創建年代は不詳ですが、豊臣秀吉の関東攻めの時に白幡を立てたことから白幡八幡と呼ばれるようになったといい、戦国時代後期には八幡社であったことがわかります。新編武蔵風土記稿が編纂された江戸時代後期にも八幡社とされていることから、明治時代以降に氷川神社と改称したと思われます。

「ブックレット足立風土記舎人地区」による入谷氷川神社の由緒

入谷氷川神社(入谷2−25−5)
小高い丘(円墳)の上に建つ。もとは八幡神社と呼び、岩槻攻め(1590年の豊臣秀吉の関東攻めのことか)の時に、白幡を立てたことによるという。(「ブックレット足立風土記舎人地区」より)

新編武蔵風土記稿による入谷氷川神社の由緒

(入谷村)八幡社
塚上にあり、土人白幡八幡と称す、古へ岩槻攻の時、此所に幡を立しよりかく称せりと云、村民持(新編武蔵風土記稿より)


入谷氷川神社所蔵の文化財

  • 入谷古墳跡(足立区登録文化財)

入谷古墳跡

入谷古墳跡(入谷氷川神社)
入谷古墳については、文政五年(一八二二)徳川幕府が各地の村などを調査して作成した「新編武蔵風土記」入谷村の記録に「八幡社 塚上ニアリ。土人白幡八幡ト称ス。古岩槻攻ノ時、当初ニ幡ヲ立シヨリ、カク称セリト云」とある。この地域は東京東部低地(足立区・葛飾区・江戸川区・帰宅・荒川区・墨田区)の北辺にあたり、足立区内でも最も早い時代(四世紀頃)に古代の人々の集団生活がはじまった場所の一つである。
毛長川沿岸には舎人遺跡・伊興遺跡・花畑遺跡などの多くの古墳時代の遺跡が確認されており、これらの遺跡とともに多数の古墳が過去に存在したことが知られている。昭和四十九年、当地の区画整理事業に当り、予定ではこの塚の半分以上が削られるところであったが、地元住民の熱意によりこの塚が保存されることになった。入谷氷川神社氏子総代が中心となり、計画を変更し保存に協力したのである。
現在、区内に残されている古墳は東伊興の白幡塚古墳一基のみとなってしまっている。古墳の可能性の高いこの塚が保存されることは、きわめて有意義なことである。(足立区教育委員会掲示より)


入谷氷川神社の周辺図


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