四ツ家稲荷神社|足立区青井の神社

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四ツ家稲荷神社|旧次郎左衛門新田四ッ家鎮座

四ツ家稲荷神社の概要

四ツ家稲荷神社は、足立区青井にある稲荷神社です。四ツ家稲荷神社の創建年代は不詳ですが、次郎左衛門新田四ッ家に「西の宮」と称されていた稲荷社であったといいます。近代になり「東の宮」稲荷社、鵜飼家の屋敷神だった「権現さま」を合祀したといいます。

四ツ家稲荷神社
四ツ家稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂命、徳川家康公
境内社 -
相殿 -
祭日 9月15日
住所 足立区青井2-15
備考 梅田村村社



四ツ家稲荷神社の由緒

四ツ家稲荷神社の創建年代は不詳ですが、次郎左衛門新田四ッ家に「西の宮」と称されていた稲荷社であったといいます。近代になり「東の宮」稲荷社、鵜飼家の屋敷神だった「権現さま」を合祀したといいます。

「ブックレット足立風土記綾瀬地区」による四ツ家稲荷神社の由緒

四ツ家稲荷神社(青井2−15)
祭神は、宇迦之御魂命と徳川家康です。江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社がありました。東の宮は青井3−18付近にあったといいます。近代になって、1村1社政策が進められたため、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀され、その際、鵜飼家の屋敷神だった徳川家康(「権現さま」)も合祀されました。(「ブックレット足立風土記綾瀬地区」より)

東京都神社名鑑による四ツ家稲荷神社の由緒

昔この地は、渕江領下に属し、文禄年間(一五九二-九六)次郎左術門、権佐衛門、庄兵衛等の村人たちが聞いたと伝えられている。社の創建年月は不詳であるが、この地、往時、次郎左衛門新田と呼ばれ、安政三年(一八五六)再建の棟札には次郎左衛門稲荷と書かれている。明治五年には二十五戸の人家がみえ、明治二十二年五月この次郎左衛門、弥五郎新田、五兵衛新田、伊藤谷村の四ヵ村および保木間村の飛地を合併して一村とし、綾瀬村となったものである。(東京都神社名鑑より)

足立風土記資料神社明細による四ツ家稲荷神社の由緒

東京府管下武蔵国南足立郡(綾瀬村大字)治郎左衛門新田字精出シ耕地 無格社稲荷神社
祭神 宇迦御魂命。
由緒 「不詳」。
社殿間数 本社、間口3尺奥行き5尺。拝殿、間口2間半奥行2間。向殿。
境内坪数 160坪 官有地第1種。
境内神社1社、東照宮。祭神徳川家康公、由緒不詳、建物本社間口6尺、奥行6尺。
氏子戸数 27戸
東京府庁迄 3里30町。以上(足立風土記資料神社明細明治10年項より)

四ツ家稲荷神社の周辺図